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創価母のつぶやきブログ

信仰人生42年の経験と思う事を綴って行きたいと思っています。

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Posted by mimipita on  

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今年1年、昨年より1歩前へチャレンジ有るのみ♪

Posted by mimipita on   0

今までと同じに生きると言う考えは私は嫌いです。
生きてる限り、何才であろうと、変化していくのが当たり前だと思うからです。
またそうでなければ、生きている意味が無い。

今年から、自然栽培の畑にチャレンジします。
それと、「ぬいぐるみ」創作をする。もちろん、本業の「トリマー」の仕事もやりきる。♪
近隣の友人との交流も大切に。楽しい毎日にする。
健康管理は今まで通りに実行。
信心活動も楽しくやる。何事も楽しんでする。♪
そしてもう一つある決意をしています。これは、今はお話し出来ません。
出来る時が来ましたら、打ち明けます。

そんなこんなでやりたい事が沢山で、今年も忙しくなります。
なんて言っていますが、時間切れで、手抜きで何分の一も出来ないんですよ。(*^_^*)
あんまりきっちり思ってもね、精神的に良く有りませんから。(笑)
私の性格はいい加減だということです。

11日の聖教新聞の1面の池田先生の「光の言葉幸福の曲」が載っていました。

読んで感動したので、ここに載せたいと思います。♪


<新しき一年に新しき自分を>

新年は、惰性を破るチャンスである。
「新しい自分」へと  脱皮する好機である。
年頭の決意を貫いたとき、 どれほど大きな実りが、
年末に もたらされることか。
新生の決意に立てば 「前進の一年」になり、

「相変わらず」の心であれば 「後退の一年」となってしまう。
大いなる希望と 
具体的な目標をもつことである。
「すべてに勝利する」との 強き一念を貫くことである。

「未来の社会」 「これからの地球」といっても、
それはすべて 未来を担いゆく
若き君たちの胸中にある。
今、諸君の心に どのような未来が、
どのような希望が 描かれているのかー
ここに
すべてがかかっていると言って良い。
「どうなるか」ではなく
「どうするか」である

自分が変わることである。
自分を改革することである。
自分自身が 「新生」の行動を
始めるところから、一切が変わり始める。

今 この瞬間も、 大宇宙は止まることなく
正確に運行している。
その宇宙を動かしゆく本源の力と
同じ力が、
私たち自身の生命の中にある。
ゆえに我らは、
来る年 来る朝、
わが胸に元初の太陽を昇らせ、
新しい一日を
新しい人生を
晴ればれと勝ち進んでいくのだ。


この詩を読んだとき、わくわくするような気持ちになりました。
その心で、生涯青春の1年でありたいと思います。



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2015年、明けましておめでとうございます。☆

Posted by mimipita on   0

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。m(_ _)m

毎年、新年には創価学会の会館へ「新年勤行会」に参加しています。
今年は初めて、家族7人で赤平の会館に参加することが出来ました。♪

1420091258749.jpg

娘は仕事で行けなかったのが、少し残念ですが、行く行かないは本人の
考えですので、また私のご祈念事が出来ました。

一家和楽の信心をこれからも祈念して行きます。
昔、私の尊敬する方が言っていました。「親孝行な子達じゃないですか!♪
親にお題目を上げさせてくれて」と。
昨日は娘と、過去の想い出話や今まで言えなかった事など、沢山、親子の会話を
する事が出来ました。親として、幸せなひと時を過ごしました。♪

思っている事を伝え合えると言う事はそう出来る事ではないと思います。
親子や家族間に確執が有ったり、一方通行で有ったり、時間が無くてなかなか
会えなかったりと難しいものですものね。

可愛い、子供、孫と一緒に、お正月を過ごせて、私は幸せ者です。(^_^)v

牧口先生の本や佐藤 優氏の本を読んでから、なんとなく、今まで難しいと敬遠していた、
「日蓮大聖人の御書」を読んでみたくなりました。
難しい漢字や言葉が出て来ますが、なんとなく意味が分かるんですよね。抵抗があまり無く、
そばに置いて時々読んでいます。

これは私が21才の時に購入した「御書」です。42年が経っています。
ファスナー付のケースに入れていたのですが、ボロボロになってしまったので、
捨てました。御書の表紙は皮貼りです。用紙は質の良いものなので傷んではいません。

DSC_0437-3.jpg

若い時は、難しい文字を見ただけでも、頭が痛くなりましたが、
還暦過ぎた年齢のせいでしょうか?意味が分かり大聖人の迫力が心に
迫って来ます。 今、「大聖人の仏法」を信仰出来る事は無上の
喜びです。

御書の一節を載せたいと思います。
『 十字御書(むしもちごしょ)
 月は山よりいでて山をてらす、わざわいは口よりい出て身をやぶる、さいわいは心より
いでて我をかざる。
今正月の始めに法華経を供養しまいらせんと、をぼしめす御心は、木より花のさき
池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出るなるべし、今日本国の
法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもってをもうに

今法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの
法華経をかたきとする人の国は体に、かげのそうがごとく、わざわい来るべし、
法華経を信ずる人は、せんだんに、かをばしさのそなえたるがごとし、』

『阿仏房御書
末法に入って法華経を持つ男女の、すがたより外には宝塔なきなり
、若し然れば貴賤上下をえらばず南妙法蓮華経と、となうるものは我が身宝塔にして
我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より、外に宝塔なきなり、法華経の題目、宝塔なり
宝塔又南妙法蓮華経なり。』

いかに、人間一人一人が尊い「仏の生命」を内在しているか!! 
と言う「日蓮大聖人」の御文です。この「仏の生命」を引き出す方法を教えて
いるのが、「日蓮大聖人」の仏法なのです。
でもそう言われても簡単には信じられないのが、私達「凡夫」です。
法華経は理解よりも「信じる」事。「以信得入」と教典にあるが
「信を以て入る事を得」と読む。

御書1244ページ
『仏法は海の如し唯、信のみ能く入る」

私は幸運にも発心して42年の間、さまざまな、人生の苦難がありましたが、
「日蓮大聖人」の仏法を疑うことは、ありませんでした。
家族が疑って落ちた時も、微動だにしませんでした。組織の中では地味な
存在ですが、信じる心だけは、誰にも負けません。この事が唯一私の誇りです。

2015年は「世界広布新時代 躍進の年」です。♪
楽しみながら、自分に出来る事から、挑戦していきます。o( ^_^ )o
今年一年、良い年にして行きましょう。

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