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創価母のつぶやきブログ

信仰人生42年の経験と思う事を綴って行きたいと思っています。

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いよいよ日頃の友好活動が花開く&ためになる書籍♪

Posted by mimipita on   0

学会員の皆さんも常日頃、友人と幸せな交流をされていらっしゃると思います。
お陰さまで、私も、昔からの友人の他に、今年から町内のダンスサークルに
参加するようになって、新しいお友達が増えました。それ以外にも、ご縁があり
まして、親しくなった友人の方もいらっしゃいます。

気軽に会える仲と言うのは本当に、楽しいし幸せな気持ちになります。
友人になって頂いた方には、感謝の気持ちでいっぱいですね。
あまり深く立ち入らないように、これからも良い関係を保って行きたいです。

11月の本部幹部会は創立記念の意義深い時ですので、
新たな気持ちで参加しました。
前回のブログで載せました、牧口先生のお言葉ですが、

『・・・・カントの哲学を精読している。
百年前、及びその後の学者共が望んで手を着けない「価値論」を
私が著し、しかも、上は法華経の信仰に結びつけ、下数千人に実証したのを
見て、自分ながら驚いている。
これ故、三障四魔が粉起するのは当然で、経文通りです。』


このとおりを幹部会の席上で、池田副会長がおっしゃいました。

牧口先生がお考えになった「創価教育学」の精神が「創価学会」の原点です。
その原点を知らずして、創価学会を語ることは出来ません。
また真に理解は出来ないと思います。

創価学会に興味を感じて頂けたなら、ぜひ「牧口常三郎先生」の事を知って頂きたい
です。そうすれば、正しい真実の「創価学会」が自ずと解って来るのです。
「創価」とは価値を創造し、人としての幸せになる生き方を作り上げて行く方法を
教えているのです。
この原点は、何年時が立っても、変わる事はありません。
年老いた学会員はこの世から居なくなります。でも必ず次の世代に受け継がれ、
「創価学会」の組織は続いて行きます。私はそう信じています。

毎月購入している本があります。婦人部で喜ばれてる雑誌「パンプキン」です。
とっても中身が濃くて、役に立つ本です。お料理や楽しい事、家事に役立つ事
池田先生の随筆、体験談、小説などなど。

娘とお嫁さんに、贈呈してるので、毎月3冊です。たまに読んだ後に友人にも
見せています。色んな工夫で、学会への理解の輪を広げています。♪

12月号も来ました。大掃除の仕方、年賀状のマナー、
土地の文化や歴史、美味しい食の紹介、楽しさ盛りだくさんです。♪

DSC_0374-3.jpg

今回はこちらの本を購入しました。
「100文字の幸福抄」 池田先生の言葉が読み易く大きな文字で
描かれています。 読んでると、感銘する言葉の数々。 自分にもそして回りの
大切な人にもきっと支えになりますね。嬉しい本です。♪

もう一冊は「創価学会と平和主義」佐藤 優著 
創価学会員ではない方が、偏見や偏り無く、外から見たままを書いている本です。
私は今までも、この方の著作を読んでいます。
作家で、元外務省主任分析官。キリスト教徒。

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まだ読んでいませんので、後ほど感想を述べさせて頂きますね。

見に来て下さいまして、ありがとうございます。


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創価学会初代会長 牧口常三郎氏 8

Posted by mimipita on   0

とうとう昨日から雪が降り始めました。冬の到来です。

牧口初代会長は1943年(昭和18年)7月6日 72才の時に、特高警察により、
逮捕された。「治安維持法」違反及び「不敬罪」によるものだった。
同日、理事長の戸田も逮捕された。

伊豆下田の須崎の知人宅で逮捕された牧口は、刑事をしばらく待たせ、着物を着、
袴を付けた。下田署までの5kmの道のりを毅然と歩いた。まるで刑事を従えてるように。

下田署で一晩留置され翌7日、東京の警視庁に向かった。
警視庁の5階で約1ヶ月半の厳しい取り調べを受けた。
取調室は、1坪ほどの広さで真ん中に机が二つ置いてあるだけの部屋で、
窓には太い鉄の策がはめてあった。

牧口の取り調べには特高2課の課長があたった。
牧口はどんな質問にも普段と同じように悠然と自分の信条のままに述べた。
「創価教育学会の信仰理念の依拠する所は、日蓮正宗に相違なきや」の質問に、

牧口は「創価教育学会は、日蓮正宗の信仰に、私の独自の価値創造論を採り入れた
ところの立派な一個の在家的信仰団体であります。」と答えている。

牧口は創価教育学会と宗門とは、別のものであると明確に区別していた。
そこには、日蓮仏法に脈打つ「立正安国」の絶対平和の精神はすでに
学会にしか流れていないという血を吐くような思いがあった。

牧口と戸田は、東京拘置所に移ったばかりの時、短時間の
面会が許された。「先生、お体を大切に・・・・・・」戸田はそう言うのがせいいっぱい
だった。これが、師匠との永遠お別れになったのだ。


牧口が拘置されたのは、東京拘置所の第四舎と呼ばれる建物の2階の独房
だった。3畳の板の間に薄い畳が2枚しいてあり、木の蓋を開けると、
トイレと洗面所になるように作られたイスと机が備え付けられただけの、
薄暗い部屋である。
冬などは底冷えがし、持病のひざが痛み、指も凍傷にかかるほどだ。
しかし、10日に1度出す事が出来た家族宛の手紙には、
「一人住まいのアパート」や「思索が出来てかえって良い」など、家族への
気配りの内容を書いていた。

牧口の獄中の書簡は、家族への具体的な配慮や励ましに満ちていた。
その書簡もところどころ、検閲で消されていた。

牧口は予審判事の取り調べや裁判での陳述が身を持って出来る、
国家諫暁だと思い定めていた。

予審判事の取り調べが始まったのは起訴から5ヶ月後の1944年4月に
入ってからだった。
予審判事の取り調べは、東京刑事裁判所で行なわれた。
拘置所からバスで移動する。いつも15人ほどの収容者が、手錠をかけられ
編み笠をかぶせられ、数珠つなぎで護送された。

牧口はここでも予審判事に仏法の正義を説いた。
そして言い足りない事を文書で陳述書を書く事を許された。
牧口は自ら取り調べ調書を書いたのだった。

拘置所の独房で、毎日、筆をとって約1ヶ月かけて書き上げた。
1冊の本になるくらいの厚さだった。7月4日の書簡にはそれを予審判事に
提出したことが、記されている。

この自筆の調書は、日蓮の「立正安国論」に比すべき、牧口の烈々たる執念の
「諫暁」の書だったといえる。
しかし、その内容を知る事は出来ない。敗戦により、後難を恐れた予審判事が、
人知れず処分したと言われているからだ。

牧口が病艦へ移る事を希望したのは1944年(昭和19)11月17日のことだった。
すでに死を予想していたのか、すべて洗濯したものを身に付けていた。

「おぶってさしあげましょうか」
看守が、牧口の体の衰弱を見て声をかけた。 牧口は静かに断った。
「せめて手でも引いてあげましょうか」
「ひとりで歩けますから、ありがとう。・・・・」 2、3度よろけはしたが、一人で
病艦に歩いてゆき、ベッドに横たわると、ゆっくり目を閉じた。
老衰と極度の栄養失調だった。

翌18日午前6時過ぎ、牧口は眠るようにして73才の生涯を終えた。
その顔にはやるべきことをやり終えたという、穏やかな安堵の表情が
漂っていた。

『・・・・カントの哲学を精読している。
百年前、及びその後の学者共が望んで手を着けない「価値論」を
私が著し、しかも、上は法華経の信仰に結びつけ、下数千人に実証したのを
見て、自分ながら驚いている。
これ故、三障四魔が粉起するのは当然で、経文通りです。』

10月13日に家族に送ったこの書簡が、彼の絶筆となった。



最後まで見て頂きましてありがとうございます。
この次へ続きます。

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創価学会初代会長 牧口常三郎氏 7

Posted by mimipita on   0

皆様こんにちわ、とうとう昨日(3日)で「法華経展」も終わりましたね。
見て来れた方々良かったですね。♪

でわ、間が空きましたが、牧口先生の内容を載せます。

1941年(昭和16年)3月 「治安維持法」が、改正され、軍部政府は戦争遂行の
ために、思想、宗教の統制強化をはかり、組織ごと取り締まる事が出来るように
しました。

そして12月、対米戦争を迎えると天皇制イデオロギーで国民を統一するために、
皇大神宮の大麻(神札)を祀る事が全国民に強制されるようになる。

牧口は、自らの宗教的信念をつらぬき、まっこうからそれに反対する。
国家権力との生命をかけた闘争をはじめたのだった。


1941(昭和16年)創価教育学会の機関誌として「価値創造」が創刊された。
牧口は精力的に論文を書き会員の指導にあたった。座談会では御書を引いて
話をする事が多くなった。
厳格に日蓮仏法を守り謗法払いも続けていた。
座談会の名称も「大善生活法実証座談会」と変えた。
そのころの「創価教育学会」の支部は、東京16、地方12、を数え、会員は
4000人までになっていた。

そしてその年の5月、「価値創造」は廃刊を命ぜられた。
当局がいよいよ危険視しだしたのだ。

11月の第5回総会で牧口は「信者と行者と区別しなければならない」と
講演した。
自分の為だけに信仰しているならば、魔は起こらない。それは小善生活の
信者である。しかし、人のため、法のため、菩薩の行動に出れば必ず
三障四魔が競い起こる。起こるがゆえに、法華経の「行者」と言われるのだ。

牧口は宗門の僧侶を「信者」にすぎないと批判した。
宗門の当局への迎合に憤りを感じていた。

1941年(昭和16年)3月10日 本山で僧俗護法会議が開かれた。
牧口と戸田が出席していた。

席上、日蓮正宗の僧、小笠原慈聞は軍部政府の手先となり、
「神本仏迹論」という邪義を立てて身延派との合同を迫った。

牧口は日蓮大聖人の仏法の正法正義を貫くよう主張したが、
弱腰の宗門は、聞き入れず、檀信徒に、大麻(神札)を受諾するよう
通告する。宗門は大聖人に違背し、戦争協力へ傾斜して行った。

その後牧口は、当時の法主、日恭上人に「いまこそ国家諫暁の時である。!」と
直諫するが、当局を恐れる法主は、牧口と戸田を登山禁止処分にしたのだった。

座談会に特高警察が立ち会うことが増えて来た。
昭和18年頃には、話が「神札」や「国家体制」の内容になると
「弁士! 中止!中止!」と直接さえぎるようになった。

牧口は何度中断されようと、国家崇拝、邪宗崇拝の非を訴える事を
止めなかった。
牧口は自分の言動で不当逮捕になる危険を予想していた。
その時は、法廷で自分の考えを主張しようと国家諫暁の姿勢をつらぬく
決意を固めていた。

すでに警視庁に2度呼ばれていた。5月には中野署に1週間留置され
取り調べを受けた。牧口はその頃から逮捕を現実の事と受け止めはじめた。

牧口は戸田に言った。
「一宗が滅びることではない。一国が滅びる事をなげくのである。
いまこそ、国家諫暁のときではないか。なにを恐れているのか!」

牧口は7月4日から伊豆の下田で座談会に出席していたが、6日の朝、
刑事に連行された。「治安維持法」「不敬罪」の容疑だった。

戸田も同日、目黒の自宅で、逮捕されたのだった。

牧口72才の時だった。これから獄死までの500日の獄中の闘いが始まるのです。


次へ続きます。最後まで見て下さいまして

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